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自分のことが大嫌い。って、思い込ませていませんか?

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どうも。やすぴろです。

昔、ぼくは自分のことが大嫌いでした。自己嫌悪にまみれた人間でした。

でも、あるときからこう考えるようになりました。

「自分のことが嫌いなのは、自分のことが好きだからなのではないか?」

こう考えると、人生が楽になりました。

この考えがすべての人に共感されるかどうかはわかりません。いや、すべての人に共感される考えなどありえない。

でも、もしかすると、この考えを持つことによって、すこし心が軽くなる人もいるかもしれません。

そう願って、このエントリーを書きます。

どうぞ。

自分が大嫌いだったころ

まず、自己嫌悪にまみれていたころの話をします。

自己嫌悪が激しくなったのは、高校生のときだったと思う。

中学校は地元の小さい学校に通っていて、そこではわりと優秀な生徒だったし、いわゆる「人気」もあるほうでした。

しかし、順風満帆な人生は、都会のいわゆる進学校に通って終わりを告げました。

中学生のころは「できる子」として扱われていましたが、なんてことはありません。母数が多くなれば、ただの凡人でした。まさに井の中の蛙です。

まず、学力面。

中学生のときは学年トップの学力を誇っていましたが、高校では下から数えた方が早かった。

つぎに、部活。

吹奏楽部に入りましたが、唯一の同期の男仲間は僕より数段演奏が上手でした。それでいて性格も明るく、頭も良く、友達も多かった。

僕は、彼と自分を比べては、いつも自己嫌悪に陥っていました。

自信家だった中学生の僕はいずこか、いつの間にか消極的で自己嫌悪にまみれた寂しい人間となっていました。

高校生は多感な時期です。少なからず「厨二病」的な要素もあったのでしょう。

でも、このころは真剣に、「なぜこんなダメ人間が生まれてきてしまったのだろう」と自己嫌悪に襲われていました。

 

 

自分のことが大好きであることを認める勇気

しかし、あるとき、あることに気づきました。

「気づいた」というより、ずっと前から分かっていたことを、ついに認めたのです。

「傷つくのは、自分のことが大好きだからなのではないか?」

というのも、本当に自分のことが大嫌いで、自分に一切期待していないなら、自分が何かできないことであったり、評価されないことに対して傷ついたりしないはずなのだ。

だって、本当に自分のことが嫌いなら、自分に対する評価なんてどうでもいいはずです。というより、嫌いなやつの評価が低いのは、むしろ喜ばしいことでしょう?

つまり、僕は「自分のことが大好き」なのに、「自分のことが大嫌い」だと思い込ませていたに過ぎなかったのです。

なぜでしょう。なぜ、そんなことをする必要があるのでしょうか。

 

 

「自分のことが嫌いだ」と思い込ませる理由

一言でいうと、「楽」だからです。

自分のことを「好き」であると認めてしまうということは、自分に期待するということです。「自分は出来る人間だ!」、と。

しかし、その分、失敗したときのダメージが大きい。

まさしく、僕の高校時代です。中学時代に「出来る生徒」だった僕は、高校で「ダメな生徒」の烙印を押され、心に傷を負いました。

だから、いつしか「自分に期待しない」という、みみっちい処世術を身に着けてしまったのです。そして、「自分のことが嫌い」だと思い込ませるようになってしまった。

でも、先ほど言ったように、「傷つくのは、自分のことが大好きだから」なのです。

これを認めてしまえば、だいぶ楽になれます。

なにかに失敗して傷ついたとき、「自分はダメな人間だ」と思うより、「今回は失敗した。でも、自分はできるはず。つぎは頑張ろう」と前向き考えたほうが絶対に良いでしょう。

「自分を嫌いだ」と思い込むのは、ただの「逃げ」だと思います。「自分のことを好きなままでいられる努力」からの、逃げだと思うのです。

 

 

自己嫌悪は自己愛の裏返し

結局、「自己嫌悪は自己愛の裏返し」なのだと思います。

自分のことが大好きだからこそ、自分を傷けないように、自分のことを嫌いになる。

そうやって「自分はダメなやつだ」と思い込ませてしまえば、消極的な人生になる。そうすることで、確かに「外的要因」によって傷つくことは少なくなるかもしれない。

なんてことはない。要は、「どうせ断られる」と決め込んで告白しない人の心境と同じなのだ。断られて傷を負うのが怖いから、予防線をはる。「どうせ俺なんて」、と。

でも、そういう生き方って、きっと、気づかないだけでじわじわと、自分を傷つけている。「外的要因」による傷跡のように目立ちはしないけど、内側からじわじわと、毒のように効いてくる。

心のどこかで、気づいているはずなのだ。「どうせ俺なんて」、と予防線をはるカッコ悪い自分に。そして、それに気づかぬふりをする自分に気づいて、そんな醜い自分が嫌いになる。自己嫌悪に陥る。

まさに負のスパイラルです。僕の高校時代は、これから抜け出せなくなっていました。

だから、「自分のことが嫌いだ」と思い込ませている人は、まずその思い込みから覚める必要があるのです。

何度も言います。

「自己嫌悪は自己愛の裏返し」です。

あなたは、きっとあなたのことが好きなはずです。

そうでしょう?

 

余談

実は、このエントリーはブログを始めたばかりのころに書いた下のエントリーの内容を、今の言葉で置き換えて書いたものでした。

 


僕は、なぜ同じような内容のエントリーを2度も書いたのでしょうか。

むかし書いた文章が拙かったので、新しい文章で書きなおしたいという想いもありましたが、それ以上に、僕は「自分のことが嫌い」になりがちだからです。楽な方に流され、人生から逃げがちだからです。

こうやって文章にすることで、「本当は自分のことが好き」だということを、確認したかったのです。

自己嫌悪に陥っていた僕が、「本当は自分のことが好き」であることに気づけた理由は、自分と対話をしたからです。自己啓発本に答えが書かれていたわけではありません。

頭のモヤモヤを文章化するということは、自分との対話です。自分と向き合うことは、ときに辛いけど、気持ちいい。

おそらく、「自分のことが嫌いだ」と思い込ませている人の多くは、このエントリーを読んでも、「なにキレイゴトいってるの?」としか思わなかったのではないでしょうか。

自己啓発本を含め、他人の言葉に触れることで心が動かされることはありますが、最終的にはやはり、自分の言葉です。自分との対話が重要なのだと思います。

ブログに限定はしませんが、ブログは自分と向き合うよいきっかけになります。

「自分のことが嫌いだ」と思ってる人は、なんでもいいから、自分と対話するきっかけを持つことが重要なのではないでしょうか。

 

おわり。

 

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