まだ批判に心を痛めてるの?批判に対する考え方、対処法など




インターネットでなにかを発信している限り、絶対に避けられないもの。

それは「批判コメント」だろう。

このブログはまだ批判されるレベルですらないので、幸いなことに(不幸なことに?)批判コメントがついたことはありません。しかし、ブログ活動を続けていればいつの日か必ず批判コメントがつくことは理解しているし、覚悟しています

ただ、僕は批判コメントがついてもひょうひょうとしていられる自信があります。なぜなら、約5年間ニコニコ動画でゲーム実況動画を投稿していた経験があるからです。コメントの質がひどいという点では、ニコニコ動画に勝てる動画サイトはなかなかありません

5年間ニコニコ動画で活動するなかで、「批判コメントに心を痛める必要はない」という結論に至りました。今回は、その理由や考えに至った経緯、対処法などを説明しようと思います。

インターネット上の「批判コメント」に限定された話ではなく、コミュニケーション全般に通ずる話だと思いますので、誰にでも見てもらいたい内容です。




判コメントに心を痛める必要がない理由

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人を満足させることは不可能

「万人を満足させることは不可能」です。絶対に。

ゲーム実況の場合の簡単な例をあげます。

僕はゲームをするとき、「前置き」をしっかりとするタイプでした。「このゲームは〇〇〇で、〇〇〇をコンセプトにゲーム実況します」、と。

この「前置き」に対する反応は、概ね以下の3つに分けられます。

① 丁寧な動画であることを褒める(約2割)

② とくに大きな反応なし(約7割)

③ 前置きはいいから早くゲームを進めろと批判する(約1割)

要するに、「彼方立てれば此方が立たぬ」なのです。Aタイプの人を満足させる動画を投稿すれば、その正反対にいるBタイプの人は動画を批判的な目で見ることになります。

このことは、ブログでも全く同じことがいえると思います。万人を満足させるエントリーは書けません。絶対に。

第一、万一書くことができたとしても、万人に受けるエントリーはつまらないと思います。AもBも満足させるようエントリーはどっちつかずで、誰の心にも爪痕を残しません。

10人に1人は絶対にあなたを嫌う

とはいえ、努力次第で、1度に満足させられる人の数は増えていくことでしょう。工夫次第で、「前置き必要派」も「前置き不要派」も満足させられる動画をつくれるようになると思います。

しかし、それでもです。それでも、10人に1人は絶対にあなたを嫌います

これは仕方がないことです。人間はそれぞれ生まれも育ちも性格もなにもかも違うのですから、絶対にあなたのことを嫌う人は出てきます。僕だって、そうです。何となく好きになれない人は存在します。わざわざ批判を残していったりはしませんが。

『嫌われる勇気』という本のなかに、このような文があります。引用します(太字は僕がつけたもの)。

 ユダヤ教の教えに、こんな話があります。「10人の人がいるとしたら、そのうち1人はどんなことがあってもあなたを批判する。あなたを嫌ってくるし、こちらもその人のことを好きになれない。そして10人のうち2人は、互いにすべてを受け入れあえる親友になれる。残りの7人は、どちらでもない人々だ」と。

このとき、あなたを嫌う1人に注目するのか。それともあなたのことが好きな2人にフォーカスをあてるのか。あるいは、その他大勢である7人に注目するのか。人生の調和を欠いた人は、嫌いな1人だけを見て「世界」を判断してしまいます

1人に目がいってしまう気持ちは痛いほどわかります。批判コメントはその存在感が大きく、まるでそれが「すべて」であるかのような錯覚を起こさせる。

しかし、その1人に心を痛めて発信することをやめてしまうのは、本当にもったいないことだと思います。批判コメントが苦痛となって動画をすべて削除してしまった経験がある僕だからこそ、いまは心からそう思います。

僕は、僕のことを嫌う1人より、僕のことを好いてくれる2人を大切にしたい。

体性がなくなる=つまらなくなる

批判コメントを気にするようになると、発信することを楽しめなくなっていきます。

「発信」は、主体的に行うべき行為だと思います。「こんなことを書いたら、批判コメントがくるのではないか」とビクビクしながらなにかを発信する姿は、すでに主体性を失った姿です。主体性を失った者に、面白いエントリーは書けないでしょう。独自性がなくなるのですから。

自分が楽しむため、他人を楽しませる記事を書くため。その両方のために、「主体性」は重要になります。それを脅かせる存在である「批判コメント」に心を配らせる必要はありません

処法

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「批判コメントを気にする必要がない理由」を語ってきましたが、これはあくまで心理的なお話でした。それでは、実際に批判コメントがついたときはどうすればいいのでしょうか?

1番おすすめの方法は、「スルー」です。批判コメントを見たら、「あぁ、コイツは10人のうちの1人だ。僕のことを絶対に嫌う人だ」と思えばいいのです。そんな人にエネルギーを使う必要はありません。病む必要はありません。ちなみに、応戦することもおすすめしません。「反応する=油を注ぐ」だと思いましょう。

「そこまで簡単に割り切ることはできない」という人におすすめの方法は、「見ない」です。そもそも見なければいいのです。コメント欄を閉鎖してしまえばいい。ブクマコメも見なければいい。

ただし、この方法をとると、有益な情報までも遮断してしまう恐れがあります。そこで、例えばですが、「100ブクマを超えたら、ブクマコメを見ない」などのルールを設けるのも1つの手だと思います(僕はやりませんが)。

理由は、「10人に1人は絶対にあなたを嫌う」からです。100ブクマともなると、批判コメントがある可能性は非常に高い。それを見て心を痛めるくらいなら、はじめから見なければいいのです。「臭い物に蓋をする」精神です。

見なくても大丈夫です。本当にあなたのことを好いてくれる人は、ブクマコメ以外にも様々な方法であなたとつながってくるでしょう。

自分が批判に弱いことを自覚している方は、「コメントを見ないことによる不利益より、批判コメントを見ることによる不利益の方が大きい」可能性があります。そういう方は、「見ない勇気」を持つことも大切だと思います。

とめ

「発信する人」にとって、批判コメントは切実な問題です。批判コメントに心を病み、5年間続けていたゲーム実況活動をやめた経験がある分、そのことは誰よりも理解しているつもりです。

でも、僕はこのブログをやめません。たとえ批判コメントが増えてきても、です。そう誓えるようになったのは、このエントリーで書いた内容がようやく自分のものになってきたからだと思います。

同じ「発信する側の人間」として、批判コメントに心を痛めて発信することをやめてしまう人を見るのは本当につらい。

どうか、批判コメントが原因でブログをやめる人が1人でも減りますように。そういう気持ちを込めて書きました。

おわりっ!

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