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あなたのつまらないブログは心を浄化しない

ブログ運営

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現在の時刻、深夜2:54分。

どうやら世界はまだ針を回していないらしい。

タイピングの音を除いて、世界は静寂に包まれている。

 

明日は仕事で6時起きだ。

泣きそうな状況だけれど、なぜだか心は妙に落ち着いている。

僕は、なぜ、こんな時間にブログを書き始めているのか。

 

眠れないのだ。

最近、ブログのことで悩んでいる。

眠れない程悩むのは、はじめてだ。

 

このエントリーは、「つまらないブログ」を書いている「あなた」に向けたもの。

そう、「自分」に向けたもの。

 「軸」がない

昨日は「野球」に関するエントリー。

その前は「下ネタ」に関するエントリーを投稿した。

はっきり言って、反響はほぼない。

当然だと思う。

 

「音楽雑記」と謳っているブログが、急に「野球」の記事を投稿して喜ぶと思うほうがどうかしている。

 

とはいえ、このブログはあくまで「雑記ブログ」だ。音楽の話題が少し多いということはあるが、基本的には「雑記ブログ」だ。「好きなように自由に書けばいいんじゃない?」と思う人がほとんどだろう。

 

しかし、だ。それを理解した上で僕は一人悶々と悩んでいる。やはり、僕のブログにはなにか大切な「軸」が欠けているように思う。一体、なんだろうか。

 

僕のブログでに欠けている「軸」は、「ブログのテーマ」というレベルの「軸」ではなく、もっと大切な「軸」なのかもしれない。

 

「自分」がない

一見「軸」がなく、扱う話題があっちこっちに行き交う「雑記ブログ」であっても、面白く、成功しているブログはたくさんある。

 

なぜ、僕のブログはつまらないのか。

なぜ、その人たちの書くブログは面白いのか。

 

その人たちのブログには「自分という軸」があって、僕のブログにはそれがないからだと思う。

 

つまり、だ。面白い雑記ブログは、話題の一貫性のなさという点では「軸」がないように見えるかもしれないが、「〇〇さんが書いている」という確かな軸が存在するのだ。

 

「自分」という大きな軸があるのだ。これは、非常に重要なことだと思う。「自分がないブログ」ほどつまらないブログはないのだから

 

情報をまとめただけの記事なら、wikipediaに負ける。その人の想いがのっていない当たり障りのない記事は、他のブロガーの記事に負ける。「その人が書いた記事だから、読む」という絶対的な力を生まないからだ。

 

そして、最近の僕のブログは、まさに「自分がない」つまらないブログになりかけていた。読者にとってつまらないならまだしも、自分にとってもつまらないブログだった。書いていて、心が躍らなかった。いまは、少しだけ、踊っている。

 

結局、僕が書くブログがつまらないのは、「ブログのテーマ」という「軸」が欠けているということ以上に、「自分」という「軸」がないことに由縁するのだと思う。つまるところ、僕が書く必要性に乏しいブログで、僕だけの魅力がないのだ。

 

僕の心が躍る文章を

僕は昨日、野球に関するエントリーを書いた。


野球が好きであることは、嘘ではない。

 

しかし、日ハムが優勝したことにつけこんで書き始めたエントリーで、本当に「自分の心の底から」でてきた文章ではない気がする。

 

この記事を読み返してみると、「自分」がない。ただの、情報の羅列だ。これでは、読者の胸に響かないことは当然だ。そして、僕の心も踊らない。

 

そして、最近はこの手の記事を量産していた。


音楽が大好きであることは、嘘ではない。むしろ、大大大大大大好きだ。

 

しかし、正直に言うと、この手のエントリーはアクセス数が欲しいという一心で書いたものなのだ。「自分」が込められているかというと、疑問だ。なぜなら、書いているとき、「作業感」があったからだ。心が躍らなかった。

 

もちろん、この手のエントリーを書くことが悪いといいたいわけではない。アクセスアップのために、特定のジャンルの「まとめ」や「ランキング」系の記事を書く人はたくさんいるし、むしろ、常套手段といえる。気が向けば、僕はまたこういう記事を書くだろう。

 

しかし、ブログを書くことがつまらなく感じているいまは、もう1度原点に返って、自分が書いていて面白いものを書く必要があるのだと思う。そうでなければ、読者に響かない。自分のない、個性のない、つまらないブログになってしまう。

 

いま僕に必要なのは、アクセスアップのために記事を書くことではなく、自分の心が躍る文章を書くことなのだと思う。僕は、自分を取り戻す必要がある。

 

想いが浄化するブログ

では、僕はどのような記事を書いているときに心が躍っているのだろう。

いまは、踊っている。

 

まさにいま気がついたのだが、僕は「自分の弱さを露呈した文章」を書いているときに、心が躍っているのだと思う。そういう記事を書いたあとは、たとえその記事にほとんど反響がない場合であっても、僕の心はすっきりしているし、ブログが楽しいと心から思えている。

 

僕は、自分のことを弱い人間だと思っている。精神的に脆く、落ち込みやすい。なぜ生きているのか分からずに、自暴自棄になることがある。現在進行形でまだまだ人生に悩んでいる最中だ。はっきり断言する。人生楽しくない。

 

でも、そういうネガティブな想いに丁寧に向き合い、文章に乗せて書いていくことで、心が浄化され、最終的にはポジティブな文章ができあがることが分かってきた。そう、僕がブログを書いていて1番心が躍る瞬間は、「想いを文章化することで、想いが浄化される」瞬間なのだと思う。この文章を書いているいま、想いが浄化されていくことを肌身で感じている。

 

だから、僕はもっと「自分の弱さを露呈した文章」を書いていくべきなのだと思う。

 

僕は、現段階では自分のことを幸せな人間だと思えずにいる。でも、ブログを続けることによって、少しだけ、少しだけ、少しだけ、まっとうな人間に近づているような、そんな感覚があるのだ。少しずつ、自己実現できているような、そういう、実感。

 

この記事を書きながら、まさにいま、ようやくわかった。僕がブログを書いているのは、自分のなかの鬱鬱とした想いを、文章化することで整理したいからだ。自分自身のため。そして、僕と同様、「人生つまらない」と思っている人のため。「自分がいかに幸せな人間であるか誇示する」ブログはたくさんあるが、「人生つまらない」と思っている僕だからこそ、書けることがあるのではないか。胸に響く人がいるのではないか。

 

もしかすると、読んでいる人には何も伝わっていないのかもしれません。ごめんなさい。でも、本当に、いまこの文字を打っているこの瞬間に、僕のブログの「軸」とすべき方向性が少しだけ見えたような気がします。想いが浄化されたのです。これが、ブログの面白さだと思う。気持ちいい。

 

漠然とした表現になってしまうけれど、「人生はつまらない」と思っている人間が「人生は楽しい!」と思えるようになるまでのその過程。それを描けるブログになればいいと思う。

 

想いを込めた文章しか書かない

文章を書くことで想いが浄化され、僕は一人で勝手に満たされてしまいました。

ということで、ここらで記事を終えます。

なにを伝えたいのかよくわからないエントリーになってしまいましたが、僕の心が躍ったので、それでいい。このエントリーは、完全に自分のためだけに書いたものなのだから。

 

「音楽」を軸にするとか、「オピニオン系の記事」を軸にするとか、そういう具体的な答えが降りてきたわけではありません。

 

でも、少なくとも、いま、心が躍った。浄化された。それでいい。

一つだけ言えます。

これからは、「想いを込めた」文章しか書きません。

他の誰でもない。

自分のために。

 

 

 

 

カラスが啼いている。

そろそろ世界は針を回し始まるようです。

僕も、回すとします。

 

おわり。

 

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