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ブログを始めると鬱ツイートをしなくなるという話~鬱ツイートをしないために~

雑談 雑談-生き方

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最近気がついたのだが、僕はブログを始めてから「鬱ツイート」をしなくなった。意識的に「鬱な内容のツイートをすることはやめよう」と決意したわけではなく、いつの間にか自然とそうなっていた。

鬱ツイートが減ることは、一般的には「良い」ことと考えていいだろう。事実、僕はブログを始めてから精神的に落ち着いているように思う。

では、なぜブログを始めたことによって、鬱ツイートをしなくなったのだろうか。今回は、その因果関係の分析を試みる記事となる。そして、鬱ツイートをする人が減ることを願うものである。

鬱ツイートをするわけ

まず、人はなぜ鬱ツイートをしたくなるのだろうか。人が鬱ツイートをする意図は、「鬱な内容のツイートをすることで、フォロワーの同情を集め、反応をコントロールする」ことにあると思う。

 「私はいまツライのだ」ということを周囲にアピールすることで、同情を集める。そうすることによって、周囲の人が私を「特別」扱いするように仕向ける。つまり、「この人はいま病んでいるのだ」と思わせることで、優しく扱ってもらおうとするのだ。優しいフォロワーさんならば、暖かいリプライを返してくれるかもしれないし、あなたを励まそうと、たくさんのツイートに「いいね」を押してくれるかもしれない。

さらに、ツイッターの持つ性質も、鬱な内容をつぶやくのにうってつけだ。まず、「手軽さ」。ツイートは、いつでもどこでも簡単にできる。酔っぱらっていたってできる。つまり、頭のモヤモヤを整理しないまま、簡単にツイートできてしまうのだ。だから、気軽に「死にたい」などとツイートできてしまう。加えて、ツイッターは他のSNSに比べて「匿名性」が強い。リアルの友達には言えないような「鬱」な内容の発言であっても、ネットの世界ならば気軽に書けてしまうという人もなかにはいることだろう。

そんなこんなで、人は鬱ツイートをしてしまうわけだ。しかし、あまりに何度も鬱ツイートを繰り返してしまうと、優しく扱われるどころか、「腫れ物」扱いされるのが落ちだ。そのことには、おそらく鬱ツイートを繰り返す人も薄々気がついているのだろう。しかし、鬱ツイートすることが「癖」になっていてやめられないのだ。そういう人たちは、「鬱ツイート中毒」の立派な患者さんなのだ。

 

ブログを始めると鬱ツイートが減るわけ

事実、僕は立派な「鬱ツイート中毒者」であった。いま読み返すと赤面してしまうような恥ずかしい鬱ツイートを、当たり前のように繰り返していた。鬱ツイートをしたはいいものの、同情を集めることに失敗すると、そのツイートをすぐに消していた。そして、またそのことについて鬱ツイートを繰り返した。

しかし、僕はブログを始めたことで、図らずしも「鬱ツイート中毒」から脱することに成功した。なぜ、ブログを始めることで鬱ツイートをしなくなったのだろうか。そのメカニズムを考えてみたいと思う。

 

精神的デトックス効果

デトックス効果とは、簡単に説明すると、体内の毒素(例えばアルコール)などが排出されることで、健康になることを言う(らしい)。ざっくばらんに、「すっきりする効果」と捉えてもらって問題ない。僕は、ブログには精神的デトックス効果があると思っている。

つまり、頭のなかの毒素(モヤモヤ)を文章化しながら排出(整理)することで、心を健康にする効果だ。要するに、ブログを書くことで気持ちが「整理」されるわけだ。

例えば、僕は「好きなことにまで見返りを求めてしまうのは悪いことだろうか」という記事を書くまえ、非常に頭がモヤモヤしていた。しかし、記事を書き終わったあとは頭が非常にすっきりしており、程よい疲労感と爽快感があった。ブログを始めてなければ、頭のモヤモヤを解消する術がなく、鬱ツイートいう形で吐き出していたかもしれない。

 

論理的、前向きに物事を考える

頭のなかのモヤモヤを文章として吐き出すという点においては、ブログと鬱ツイートは共通している。しかし、鬱ツイートをすると頭のなかのモヤモヤが解消されるどころか増すのはなぜだろうか。

答えは簡単だ。鬱ツイートはモヤモヤをモヤモヤのまま吐き出しているだけであって、「整理」という過程を踏んでいないからだ。大事なことは、気持ちを「整理」することだ。

ブログは「人に見てもらうため」に書くものだと僕は思っている。そのため、ブログを書いている最中、自然と「読者の視線」が入ってくることになる。つまり、客観性だ。読者は、「私はいまツライ」という内容だけが書かれている記事を見て面白いと思うだろうか?一般的には、思わないだろう。いま自分はどのようにしてツライのか。その原因はどこにあるか。その原因に対して自分はどう考え、対処するつもりなのか。問題を解決し、今後、どうやって幸せになるのか。人に見てもらうことを意識すると、自然と文章が論理的になり、その過程で頭のなかが整理される。

 「今後、どうやって幸せになるのか」これが大切なのだ。ブログを書いていると、自然と結論は「前向き」なことを書きたくなるものだ(僕だけかもしれませんが)。だって、やっぱり、せっかく読んでくれている読者のみなさまには、前向きなメッセージを伝えたいからさ。いま、とてもカッコいいこといいましたね、僕。拍手。

しかし、鬱ツイートには「私はいまツライ」しかない。原因分析もなければ、未来への展望もない。それでは、頭のなかのモヤモヤを増すのは当然でしょう。

 

ブログに書いたことは誓いとなる

また、ブログに書いたことは、自分を律する誓いとなることがある。例えば、僕は今回、「鬱ツイートをしなくなった」という内容の記事を書いている。暗に、「鬱ツイートはしないほうがよい」とすら言っている。この記事を自分で書いてしまった以上、この記事は僕に対して、「今後も鬱ツイートをしないように」というプレッシャーを与えてくることになるのだ。大げさに言うと、産みの責任みたいなものが生じる。だって、「鬱ツイートはしないほうがよい」と言っておきながら、自分がさっそく鬱ツイートしてしまっては、ダサすぎるし、記事の信用も損ねるだろう。

「読者に向けて書いているはずの記事が、その実、自分に向けて書いている記事でもあった」ということはよくある話だ。そう、この記事は自分に対する戒めでもあるのだ。「もう鬱ツイートはするなよ」、という戒めであり、誓いだ。

 

まとめ

偉そうになってしまいますが、鬱ツイートはやめたほうがいいと思います。なぜなら、不幸であることを利用して不幸を解消しようとしたって、それはできない話だからです。そういう人は、きっと、いつまで経っても「不幸」を必要とすることでしょう。「不幸であることが、自分を特別な存在にするための唯一の手段」となってしまっているわけですから。

そういうわけで、かつての僕のように「鬱ツイート中毒」の患者であることを自覚している人は、ブログを始めてみることをおすすめします。とりあえず、難しいことは考えなくていい。まずは、ブログを「気持ちの整理をつけるための道具」程度に考えればいいのです。それがそのうち「大切なこと」になって、「鬱」が入り込む余地のないくらい熱中すれば素敵なことだと思います。僕はいま、まさにそういう状態です。

一人でも多くの人が、「鬱ツイート」をすることで不幸になりませんように。

 

おわり。

 

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