自己嫌悪が激しくて自分のことが大嫌いだった僕が、自分のことを大好きになったという話




今回はちょっとメンタルで恥ずかしいお話を。

あらかじめ断っておくと、今回の記事は酔いながら書いているから何とか精神を保てているけど、あとでシラフのときに見たら赤面しちゃうようなやつだから、覚悟してね。

でも、たまには思っていることを吐露した方が体にも心にも優しい。

ブログには、そういうデトックス効果を期待している面もあるからさ。

そういう意味では、メンタルが弱い人は意外とブログに向いているよ。気持ちの整理をつける道具だと思えばいい。

ごめん、そろそろ本題に移る。

思えば、僕は高校生のときくらいに自己嫌悪の激しい自分のことが大嫌いな人間となった。毎日くだらないことで他人と自分を比べて悩んでは、自分を卑下し、呪った。

しかし、今はむしろその正反対で、自意識過剰で自分のことが大好きな人間であることを自覚しているし、堂々と公言すらしている。というか、こうして記事の題材にしちゃってる。ちょっときもいけど、酔ってるから許して。

嘘くさい宗教漫画のようになにか大きなお告げや転機があったわけではないが、あるときから自然と発想が転換し、「自分のことが大嫌い」から「自分のことが大好き」に変わった。

正確に言うと、「本当は自分のことが大嫌いなのではなく、はじめから大好きだった」ことを認めたのだ。

あまりにも自意識過剰で自分が大好きなのも少々考えものだが、自分のことが大嫌いで自己嫌悪に陥っているよりは遥かに健康的だろう。

はっきり言って、今回は酔っぱらいの自分語り記事ですが、みさなんの暇つぶしか、あわよくば、この記事を読んで心が軽くなる人がいてくれると嬉しいです。




自分が大嫌いだったころ

もともとネガティヴな性格だった僕だけど、本格的に自己嫌悪が激しくなったのは高校生のときだったと思う。

僕は田舎の小さい中学校に通っていて、そこではわりと優秀な生徒だったし、いわゆる「人気」もあるほうだった。

学生にとっては、「人気」があるかどうかは命より重いのだ。でも、あまりそれに捕らわれないようにね。

順風満帆な僕の人生は、都会のいわゆる進学校に通って終わりを告げた。まさに井の中の蛙だった。

中学のころは神童のように扱われていた僕も、なんてことはない、母数が多くなればただの凡人だった。

それを痛感したのは、なにも学力面だけではない。

吹奏楽部に入ってパーカッション(打楽器)をはじめたのはいいが、同期の男は僕より数段演奏が上手かった。それでいて性格も良く、頭も良く、友達も多かった。女にもモテた。

実際はそんなことなかったのだろうが、少なくとも当時の卑屈な僕にとっては、褒められるのはいつも彼で、笑われるのはいつも僕のように感じられた。

僕は、彼と自分を比べてはいつも自己嫌悪に陥った。

自信家だった中学生の僕はいずこか、僕はいつの間にか消極的で自己嫌悪にまみれた寂しい人間となっていた。

高校は地元の田舎から通っていたから、中学からの友達は少なく、なかなか周囲に溶け込めなかった。そして、また自分のことが嫌いになった。悪循環だった。

大学生になっても同じだった。

僕はゲーム実況動画をはじめてみたものの、いつも再生数やコメント数が怖かった。

いつもよりコメントが少ないと「この動画はクソだ」「俺には実況の才能はない」と心が沈んだ。モチベーションが皆無になっては、失踪を繰り返した。

挙句の果てに、実況動画を全て消し去った。いまはめちゃくちゃ後悔している。

自分のことが大好きであることを認める勇気

しかし、いつからか僕はあることに気付いた。というより、本当はずっと前から薄々気づいていたことを、ついに認めたのだ。

「傷つくのは、自分が大好きだからなのではないか?」

というのも、本当に自分のことが大嫌いで自分に一切期待していないなら、自分が何かできないことであったり、評価されないことに対して傷ついたりしないはずだ。

だって、本当に自分のことが心から嫌いなら、自分に対する評価なんてどうでもいいはず。というより、嫌いなやつの評価が低いのは、むしろ喜ばしいことだろう?

その「嫌いなやつ」が自分だからいろいろと話が複雑になるのだ。

先ほどのゲーム実況の例でいえば、再生数やコメント数が少ないことに対して傷つくのは、「本当はもっとできるはず」「俺は良い動画をあげている」「俺はもっと評価されるべきだ」と内心思っているからだ。

昔はその感情に嘘をついて「俺は何をやっても才能がない」とごまかしていた。

自分が自分のことを大好きであることを認めるのは、長年「自己嫌悪という逃げ道」に頼っていた人にとっては非常に勇気が必要なことなのだ。

この記事を読んでいる人の中には、「自分のことが好きだと認めるのに勇気なんて必要ないだろ」「なんでこんな当たり前のことを記事にしてるの?」と思う人もいるかもしれないが、そういう生きにくいめんどくさい人種の人が実はたくさんいるってことは知っておいてほしい。

しかし、僕はいまならはっきり言える。僕は自分のことが大好きだし、それなりに頑張っていると思うし、実況動画はもっと評価されるべきだと思うし、このブログだってけっこうイケてると思ってる。

もっと言うなら、僕はもっとお金を貰うべきだと思っているし、女にモテるべきだと思ってる。

きもいけど、酔ってるから許して。あれ、これさっきも言ったな。

でも、冗談抜きで、それでいいじゃないかと僕は思う。この考えに至ってから、少しばかり人生が楽になった。そんなものなのだ。

自分のことが嫌いな人は、もっと簡単に、素直に自分のことを好きだと言っていいんだよ。それですべてがシンプルになる。ちょっと自己啓発っぽくておせっかいな話かもしれないけどさ。

本当は他人が妬ましかっただけ

僕がもうひとつ気づいたのは、「本当は自分のことが嫌いなのではなく、他人のことを妬んでいるだけなのではないか?」ということだ。

思えば、高校時代にクラスで浮いた存在だった僕は、「人気者になれない自分」を嫌いだったのではなく、「僕を人気者にしない他人」、もっと言うと「僕を人気者にしない世界」を憎んでいたのだ。そんな醜い感情に気づきたくないから、無理やり「僕は僕が嫌いだ」と自己嫌悪の暗示をかけていた。

そう、僕ははじめから僕のことが大好きだった。ただ、それだけのことだ。当たり前だろう?自分は自分だもの。

結局、「自己嫌悪は自己愛の裏返し」なのだ。だから、Twitterとかでいつも自分のことを大嫌いだとアピールしてる人のツイートを見ると、「あぁ、こいつ俺と同じで自分のこと大好きなんだなぁ」と思っちゃう。

ほら、アレだよ。やってることは、「まじで私の顔ブサイク。もう死にたい」とか言いながら、めちゃくちゃ自信のある時撮り画像をあげてるのと同じ。それに気づいてしまうと、「自分のことが嫌い」系の発言をするのがとても恥ずかしくなる。

まとめ

「自己嫌悪は自己愛の裏返し」

こんな簡単なことを認めるのに、僕は20年以上の歳月を費やしてしまった。

というか、そもそも自分のことが大好きじゃないと、実況動画を投稿したりブログを書いたりしないと思うんだよね。もう、やってることが基本的に自意識の塊じゃん。

この記事だってそう。自分のことが好きだから、自分の考えを露出してる。ぶっちゃけてしまうと、「酔ってるから」とか言って保険をかけてるけど(本当に酔ってはいますよ)、本当は良いこと書いてると思ってる。

暴論かもしれないけど、実況者もブロガーもバンドマンもすべからずナルシストだと思うし、それでいいと思う。自分のことが嫌いというよりはずっといいだろう?

だから、自分のことが嫌いな人はもっと素直に考えていいんだよ。

どうせ、君は君のことが好きなはずだよ。認めたくないだけ。

とはいえ、「自分のことが大好き」と居直ってろくに努力もしない僕のようなタイプは考え物だね。おそらく、そういう「好き」は長続きしない。

やっぱり、自分のことを真の意味で好きになるには、それ相応な努力が必要なのかもしれないね。

でも、少なくともいま自分のことを嫌いだと思っている人は、まずは無条件で自分のことを愛していいんだと思うよ。それがスタート。

やばいですね。相当恥ずかしいこと書いてますね。翌朝見たら消したくなるタイプの記事ですね。ということで、そろそろやめにします。

おわり。

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